21世紀(今回は2006年から2010年)の阪神ドラフト1位は、活躍してるのかデータを見てみよう

ドラフトと言えば1位から順に将来有望な選手や、即戦力の選手を指名し自分のチームに入ってもらう制度だ。前回の2001年から2005年までは豊作でドラフト1位相当の選手は、当たりが多い、それもそのはず選手が指名できたり、くじ引きを引かずに入団交渉ができた時代だからだ。だがこの時期からは一変し、運要素が大きく絡んでくる。
20150516-1

ドラフトとは?

前回の内容は下記リンクから。5年間の1位相当がどれだけ活躍したかが分かる。豊作だったことは間違いないが、2位以下は外れが多く、活躍がほとんど無い選手が目立った。自由枠や希望入団制度などドラフトの説明も以下リンク先を参照してほしい。

2001年から2005年の阪神ドラフト1位相当は活躍しているのか?

2006年ドラフト1位相当は「小嶋達也」と「野原将志」

この年は希望入団枠獲得選手として小嶋達也と契約していたので、大学生・社会人のドラフト1巡目と2巡目の指名権利が無い。野原将志は、高校生ドラフト1位。

小嶋達也
石川県の遊学館高等学校を経て、社会人チームの大阪ガスを経て阪神へ入団。速球が武器で三振は取れるが、コントロールが悪く死四球も多い。

試合 S H 防御率
(8年) 59 4 9 0 5 111 5.19
年平均 7.4 0.5 1.1 0 0.6 13.9 5.19

ルーキーイヤーの1年目は先発を任され、5試合で25イニングを11失点と2勝3敗、防御率3.96と新人にしてはまずまずの成績。調子を落としてからは、2011年に中継ぎとして48イニングを投げ、三振も64個取って防御率3.72と存在感を見せた。それ以降は不安定な投球が続き、出番はほとんど無い。ドラフト1位にしては7年で防御率5.19は期待はずれの数字だろう。トレードに出してあげたほうが本人の為か

野原将志
長崎日本大学高等学校を経て、阪神へ入団。2013年に戦力外になった。地元へ戻り2014年からは社会人野球の三菱重工長崎へ。

試合 打数 安打 HR 打率
(7年) 15 25 3 0 0 0 .120
年平均 2.1 3.6 0.4 0 0 0 .120

成績を見ればドラフト1位としては全く戦力になっていない。だが2軍で結果を出していたにも関わらずほとんど1軍でのチャンスが無かったというのが本当のところ。当時のポジションでは、新井・藤本・鳥谷・ブラゼルなど内野手は足りていて出番が全く無かった。

2軍での打率は2007年から.236→.253→.282→.303と年々打率を残していたが、1軍はほぼ固定メンバーで入団した年が悪かった。

2006年のドラフト選手としては、上園啓史・清水誉・大城祐二・橋本良平・横山龍之介がいる。

2007年ドラフト1位相当は「白仁田寛和」と「高濱卓也」

大学生・社会人1位で、白仁田寛和を指名。高校生1位で高濱卓也を指名した。

白仁田寛和
福岡県立糸島高等学校を経て、福岡大学から阪神へ入団。大学4年の時に「右肩肩峰下滑液胞炎」でケガして登板できなかったので不安だったが、それが的中した。2015年からオリックス・バファローズへ移籍すると中継ぎとして頭角を現し活躍しだした。

試合 S H 防御率
(6年) 6 1 0 0 1 12 3.00
年平均 1 0.2 0 0 0.2 2 3.00

6年在籍したが、全く戦力にならなかった。ドラフト前のケガが響き、2軍でも4年程成績が悪く、2012年に防御率2.64、2013年にはウエスタン・リーグの防御率1位という2.17の成績だった。力はついたが1軍に呼ばれず、桑原謙太朗とトレードになった。

2015年はじめて1軍で活躍し、8月末現在で32試合41回1/3を投げ防御率2.40と覚醒した。阪神の1軍でこの活躍が見たかった。

高濱卓也
横浜高等学校を経て、阪神へ入団。2011年に小林宏の人的補償選手として千葉ロッテマリーンズに移籍。

試合 打数 安打 HR 打率
(7年) 63 134 29 0 7 0 .216
年平均 9 19.1 4.1 0 1 0 .216

入団後2年間は2軍でも全く結果が出ず、3年目のようやく成長してきたときにロッテにいき、阪神ファンからも次世代を担う若手として惜しまれた。ロッテにいき1軍で少しだけ試合には出れるようになったが、活躍するまではいかず。2軍と行ったりきたりを繰り返し、2軍では3割近くを残し今後の活躍が期待される。

2007年のドラフト選手としては、石川俊介・森田一成・清原大貴。育成選手1位として田中慎太朗を獲得した。

2008年ドラフト1位は「蕭一傑」

この年から新人選手選択会議として1位が1人だけとなった。育成契約が増えたのもこの年から。

蕭一傑
高校生のときに台湾から野球留学で、宮崎の日南学園高等学校を経て奈良産業大学から阪神へ入団。4年で戦力外となり、福岡ソフトバンクホークスに育成選手として1年いたが戦力外になり、現在は台湾で義大ライノズで活躍している。

試合 S H 防御率
(4年) 2 0 1 0 0 8.1 2.16
年平均 0.5 0 0.3 0 0 2 2.16

1軍の層は厚く、2軍でそこそこの成績を残したが2012年に4年間で戦力外に。その後ソフトバンクホークスで育成として拾われるが1軍登板無しで戦力外に。台湾へ戻り義大ライノズからドラフト3位指名で入団した。私自身は2軍での試合を見たことはあったが、良い球投げていたのを覚えている、入団した年が異なればチャンスはあったかもしれない。

台湾の1年目(2014年)で 試合数33 投球回85.2 5勝7敗 防御率4.62と活躍している。

2008年のドラフト選手としては、柴田講平・上本博紀・西村憲がいる。育成選手としては、野原祐也・吉岡興志・藤井宏政を獲得した。

2009年ドラフト1位は「二神一人」

二神一人
高知高等学校から法政大学を経て、阪神へ入団。大学での通算成績が9勝7敗防御率3.11と、確かに4年生時に活躍はしたが、特別1位にするほどか当時疑問に思ったのを覚えている。

試合 S H 防御率
(4年) 15 0 3 0 1 26.2 6.75
年平均 3.8 0 0.8 0 0.3 6.6 6.75

入団1年目から「左内部腹斜筋」と「右肘内側側副靱帯を損傷」し2013年までは2軍でもまともに活躍できなかった。2014年の2軍で防御率1位を記録し成長の度合いが伺える。ドラフト1位で5年目、さすがにそろそろ活躍してもらわないと困る。

2009年のドラフト選手としては、藤原正典・甲斐雄平・秋山拓巳・藤川俊介・原口文仁がいる。育成枠として高田周平 ・田上健一を指名した。

2010年ドラフト1位は「榎田大樹 」

榎田大樹
小林西高等学校から福岡大学・東京ガスを経て阪神へ入団。東京ガス時代に都市対抗野球は若獅子賞を受賞し注目を浴びた。

試合 S H 防御率
(4年) 150 12 16 3 56 242.2 3.67
年平均 37.5 3 4 0.8 14 60.6 3.67

入団1年目から62試合に登板し防御率2.27は立派。2年目も48試合で中継ぎに登板し、防御率2.34とドラフト1位として責任を果たした。2013年から先発に転向したが、手術の影響から4勝9敗防御率3.61といまいち結果に終わり、2014年は先発・中継ぎ共に精細を欠いた。入団当初のような、キレのある投球がまた見たい

2010年のドラフト選手としては、一二三慎太・中谷将大・岩本輝・荒木郁也がいる。育成選手として阪口哲也・島本浩也・穴田真規を獲得した。

2006年~2010年は不作の年

この5年間で7人のドラフト1位相当を獲得した、内訳は投手が5人、野手が2人だ。ちなみに2001年から2005年までのドラフト1位相当は、投手が7人、野手が3人と投手の獲得に力を入れているのが分かる。

成績を残したのが榎田くらいで、オリックスバファローズへ移籍して芽が出た白仁田寛和が続くくらいか。何とも寂しいドラフト1位である、下位の選手のほうが若干結果を出している選手が多いが、下位もあたりは上本や上園くらいか、ほとんど戦力になっていない選手ばかりだ。全体的にトレードやFA移籍などで獲得した選手を見ても分かるように、外様の戦力が多かったように思う。



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