21世紀(今回は2001年から2005年)の阪神ドラフト1位は、活躍してるのかデータを見てみよう
公開日:2015年8月27日
ドラフトと言えば1位から順に将来有望な選手や、即戦力の選手を指名し自分のチームに入ってもらう制度だ。ここ数十年で制度もかなり様変わりしてきた。自由獲得枠が無くなったり、育成選手枠が設けられたり、地方の独立リーグ出身者が注目されたりしている。では、阪神のドラフト1位に相当する選手は活躍している、またはしたのだろうか調べてみました。
出典:阪神タイガース
ドラフトとは?
プロ野球志望届けを提出した選手を、NPB(日本野球機構)にあるセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグに所属する12球団が獲得したい選手を指名することを指す。
これによって競合した場合は、くじ引きで抽選となり当たったチームが「選手との契約交渉権」を得る。つまり、同意しない場合は指名したことが無駄になるという事だ。
以前は「高校生選択会議」「大学・社会人 他選択会議」に分けられていた時期があったが、2008年以降は全て統一された。つまり、1球団で高校生ドラフト1位と大学生ドラフト1位という制度が存在したという事だ。
2001年から2004年までは「自由獲得枠」というものがあり、ドラフト会議日以前に独自に契約することが出来たが、当時の明治大学の一場靖弘による裏金問題で、事実上制度は消えた。
育成制度とは、支配下登録選手ではなくあくまで「育成」を目的とした制度だ。ドラフト会議終了時点で、球団選手数が「120人未満」であった場合、選択希望選手を指名終えた後に「育成選手選択会議」が行なわれる。
2001年ドラフト1位相当は「浅井良」と「安藤優也」
この年は自由獲得選手として2名と契約していたので、ドラフト1巡目と2巡目の指名権利が無い。自由獲得枠を使わなかった場合に指名できた当時の制度だ。
【浅井良】
桐蔭学園高等学校を経て、法政大学から阪神へ入団し2013年で引退。ポジションは外野手と捕手
試合 | 打数 | 安打 | HR | 点 | 盗 | 打率 | |
(11年) | 486 | 688 | 171 | 12 | 66 | 10 | .249 |
年平均 | 44.2 | 62.5 | 15.5 | 1.1 | 6 | 0.9 | .249 |
捕手から外野手へ転向し、サブとして代打として活躍した。特に2009年と2010年は怪我人が多く出たこともあり、年間100打席以上打席に立った。総合的に見ると、ドラフト1位相当の活躍をした選手とはいえないだろう。
【安藤優也】
大分雄城台高等学校を経て、法政大学・トヨタ自動車を経て入団し、2015年現在も現役。ポジションは投手。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(13年) | 385 | 72 | 61 | 11 | 50 | 1033.1 | 3.62 |
年平均 | 29.6 | 5.5 | 4.7 | 0.8 | 3.8 | 79.5 | 3.62 |
2005~2006・2008~2009年には先発としてローテーションに入り、近年は中継ぎとして試合に出続けている。毎年5勝、投球回数80回は投げている計算で、ドラフト1位相当としてはまずますの活躍だろう。
2001年のドラフト選手としては、桜井広大・中林祐介・藤原通・喜田剛・梶原和隆・東辰弥がいる。
2002年ドラフト1位相当は「杉山直久」と「江草仁貴」
2名とも自由獲得枠で入団した。
【杉山直久】
龍谷大学から阪神へ入団、2011年に自由契約、2012年に独立リーグの富山サンダーバーズで現役引退した。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(8年) | 94 | 21 | 23 | 0 | 0 | 429 | 4.01 |
年平均 | 11.8 | 2.6 | 2.9 | 0 | 0 | 53.6 | 4.01 |
2005年に先発の柱として9勝6敗で投球回数134.2、防御率2.94の成績を残し優勝に貢献した。それ以降は目立った活躍が無く、実働8年と物足りない結果に終わった。
【江草仁貴】
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(12年) | 334 | 22 | 17 | 0 | 47 | 425.1 | 3.11 |
年平均 | 27.8 | 1.8 | 1.4 | 0 | 3.9 | 43.8 | 3.11 |
2010年までは阪神で、貴重な中継ぎとして長年安定した投球をみせた。在籍8年の内で防御率2点台が5年、50試合以上登板が4年と貢献した。活躍の割りに年俸が上がらなく気の毒ではあった。2011年に西武へ、2012年から現在は広島カープに所属している。近年は出場機会が激減しているが、阪神在籍時はドラフト1位相当として、戦力として十分活躍してくれた。
2002年のドラフト選手としては、中村泰広・久保田智之・三東洋・林威助・田村領平・新井智・伊代野貴照・萱島大介・松下圭太がいる。
2003年ドラフト1位相当は「鳥谷敬」と「筒井和也」
2名とも自由獲得枠で入団した。
【鳥谷敬】
早稲田大学から阪神へ、阪神選手会長やチームキャプテンを務め、阪神の顔となっている。
試合 | 打数 | 安打 | HR | 点 | 盗 | 打率 | |
(11年) | 1545 | 5648 | 1611 | 120 | 677 | 99 | .285 |
年平均 | 140.5 | 513.5 | 146.5 | 10.9 | 61.5 | 9 | .285 |
ここまで試合に出続ける鉄人、2015年開幕時点では1466試合連続出場記録中。打ってよし守ってよし走ってよしと、走攻守揃ったプレイヤーで、選球眼がよく出塁率もリーグトップクラスを誇る。ドラフト1位相当にふさわしい、素晴らしい活躍を見せている。
【筒井和也】
愛知学院大学から阪神へ入団、入団5年目から頭角を現し中継ぎとして安定した投球をみせている。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(11年) | 214 | 8 | 6 | 3 | 29 | 236 | 3.81 |
年平均 | 19.5 | 0.7 | 0.5 | 0.3 | 2.6 | 21.5 | 3.81 |
調子の良いときと悪いときの差が激しく、10年中活躍したのは3年ほど。中継ぎ・セットアッパーとして防御率3点台前後の時もあれば、5点台を越える年もある。ドラフト1位相当として、2013年以来の活躍をして欲しい。
2003年のドラフト選手としては、桟原将司・小宮山慎二・庄田隆弘がいる。
2004年ドラフト1位相当は「能見篤史」と「岡崎太一」
2名とも自由獲得枠で入団した。
【能見篤史】
鳥取城北高等学校から大阪ガスを経て、阪神に入団。先発や中継ぎをこなし、先発の一角として阪神を支え続けている。実は打撃にも定評がある。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(10年) | 237 | 73 | 57 | 0 | 12 | 1156.2 | 3.17 |
年平均 | 23.7 | 7.3 | 5.7 | 0 | 1.2 | 115.6 | 3.17 |
2009年から先発の柱として、5年連続防御率2.70以下の成績を残し抜群の安定感を見せた。近年は年齢の影響もあり落ち着いて着ているが、10年で1000イニング以上投げて防御率3.17は、ドラフト1位相当として十分な成績を残している。
【岡崎太一】
奈良の智辯学園高等学校から松下電器を経て、阪神に入団。ポジションは捕手・一塁手で強肩だが打撃にパンチ力が無いのが厳しい。
試合 | 打数 | 安打 | HR | 点 | 盗 | 打率 | |
(10年) | 40 | 28 | 6 | 0 | 1 | 0 | .214 |
年平均 | 4 | 2.8 | 0.6 | 0 | 0.1 | 0 | .214 |
1軍へ出場したのは10年で40試合と、全く戦力になっていない。ドラフト1位相当として最低ランクの成績にあたる。捕手という特別なポジションであるが故の、まだ現役という待遇だで背水の陣か。
2004年のドラフト選手としては、橋本健太郎・大橋雅法・赤松真人・高橋勇丞・辻本賢人・玉置隆・水落暢明がいる。
2005年ドラフト1位相当は「岩田稔」と「鶴直人」
岩田が希望入団枠、鶴が高校生ドラフト1位となった。
【岩田稔】
大阪桐蔭高等学校から関西大学を経て、阪神へ入団。高校生のときに1型糖尿病を発症したが諦めずに野球に打ち込み、今や阪神のローテーション投手へ。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(9年) | 129 | 45 | 57 | 0 | 0 | 801 | 3.04 |
年平均 | 14.3 | 5 | 6.3 | 0 | 0 | 89 | 3.04 |
1日4回のインスリン注射をしながら、糖尿病患者との交流や、糖尿病研究への寄付など慈善活動を行なっている。
9年中5年間はローテーション投手としてチームに貢献、防御率も2点台から3点台中盤と安定しており、ドラフト1位相当として申し分ない活躍を続けている。
【鶴直人】
近畿大学附属高等学校を経てドラフト1位で阪神へ入団。ポジションは投手で先発・中継ぎもこなす。
試合 | 勝 | 敗 | S | H | 回 | 防御率 | |
(9年) | 110 | 9 | 8 | 0 | 6 | 217.2 | 3.85 |
年平均 | 12.2 | 1 | 0.9 | 0 | 0.7 | 24.1 | 3.85 |
2010年は先発として76イニングを投げ2勝4敗、防御率3.77と背筋を痛め秋に離脱、2012年は中継ぎとして自己最多43試合に登板し、57イニングで防御率1.89と抜群の安定感を見せた。その後は不調が続き、防御率は5点台をうろうろしている。戦力になったのは9年間でその2年だけ、ドラフト1位としてはまだ物足りない。
2005年のドラフト選手としては、金村大裕・渡辺亮 ・若竹竜士・前田大和がいる。
2001年~2005年は比較的豊作の年
この5年間で10人のドラフト1位相当を獲得した、内訳は投手が7人、野手が3人だ。その年に1番期待をかけて獲得するので、契約金も破格で活躍してもらわなければ困る。
→21世紀(今回は2001年から2005年)の阪神ドラフト1位は活躍しているのか
10年以上経過した今も、10人中7人が阪神に残っていることからも、実力があり成績を残している選手が多いことが分かる。ドラフト2位以下の選手は8割がた引退しているが、ドラフト1位がこれだけ活躍していれば御の字だろう。
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