暗黒時代を支えた阪神「中村勝広」GMが亡くなった・・・ただただ悲しい

私が小さい頃、物心付いたときから親が阪神ファンだった。その影響で甲子園にも連れて行ってもらい、阪神巨人戦などよく観戦していた。その時の阪神の監督が「中村勝広」氏だった。本日、2015年9月23日に亡くなったと各誌トップニュースに出た、悲しすぎる。
20150923-1
出典:1971年12月、阪神入団が決まり、村山実監督(当時)と笑顔の中村勝広氏 スポニチ

プロ野球阪神タイガースのゼネラルマネジャー、中村勝広(なかむら・かつひろ)さんが23日、亡くなった。66歳。千葉県出身。

出典:阪神・中村勝広GMが急死 66歳 ホテルで心肺停止状態に…

選手時代の中村勝広氏

千葉県立成東高等学校から早稲田大学を経て1971年ドラフト2位で阪神へ入団し、1972-1982年までプレーし引退した。下記は選手時代のトータル成績で、生涯阪神タイガース一筋

試合数 939
打数 2635
安打 648
本塁打 76
打点 219
盗塁 74
打率 .246

選手時代の中村勝広氏は私はあまり知らない、調べてみると守備に定評があり打っては2桁本塁打、走っては2桁盗塁数と走行守バランスの取れた選手だったそうだ。

監督時代の中村勝広氏

監督時代の成績は、Aクラスは1992年の1回、残りは全てBクラスになっている。

年度 球団 試合 順位
1990 阪神 130 52 78 6位
1991 130 48 82 6位
1992 132 67 63 2位
1993 132 63 67 4位
1994 130 62 68 4位
1995 130 46 84 6位
2006 オリックス 136 52 81 5位

成績は毎年良くなかった、いわゆる暗黒時代の阪神タイガースの監督であった。1992年の2位が最高だったが、防御率がリーグ1位にも関わらず得点力リーグ最下位というアンバランスで、上には届かなかったのは有名な話。

監督だった頃の選手は誰がいるか調べてみた。一緒に戦った阪神の選手達を見ていこう。ちなみに「和田」は現在の阪神の和田監督を指している。

1990年の監督1年目の選手

この年は最下位に沈んだ。

打者:和田 岡田 パリッシュ 真弓 田尾 八木 木戸

懐かしいメンバーが多い、和田・岡田・真弓・田尾はそれぞれ監督経験者でご存知の方も多い。現在も何らかの形で阪神に携わってる人が多い。

最近まで代打の神様と呼ばれていた八木が28本塁打も打っていた年。

投手:仲田 キーオ 中西 猪俣 野田

10勝以上あげたのが野田だけという厳しさで投手陣は崩壊。

1991年の監督2年目の選手

打者:和田 岡田 ウィン オマリー 真弓 八木 木戸

前年とほとんど変わらず、パリッシュに変わってウィンがきたが打率.230で13本塁打と振るわず。オマリーが打率.307で21本塁打と救世主に。

投手:猪俣 野田 葛西 湯舟 田村 久保

この年は猪俣の9勝がチームトップでことごとく負けた。田村勤が地味の良い働きをする。

1992年の監督3年目の選手

唯一Aクラスに入ったのがこの年で、好きな選手が多い。

打者:山田 パチョレック 岡田 和田 オマリー 久慈 八木 新庄 亀山

好きな選手が多い時代だ、甲子園にもよく足を運んでいました。パチョレックが最多安打で、久慈が新人王、新庄と亀山も元気で華がありました。当時は主力全員の応援歌よく歌いました。

投手:仲田 湯舟 中込 野田 葛西 猪俣 中西 弓長 田村

この年は投手陣が充実していた。仲田・湯舟・中込・野田の4枚看板が防御率2点台という素晴らしさ。中継ぎから抑えも、防御率1点台の弓長から田村へのリレーで安定感抜群でした。

1993年の監督4年目の選手

Bクラスに戻りました、オマリーが爆発し関川が活躍。

打者:関川 オマリー 和田 松永 久慈 八木 パチョレック 新庄

打てる捕手の関川の打撃が好きだった、オマリーが首位打者を獲り和田が最多安打とみどころはあった。新庄も23本塁打と元気いっぱい。

投手:猪俣 湯舟 中込 仲田 郭李(カクリ) 御子柴 弓長 中西 田村

郭李と御子柴が地味に良い働きをしていた。湯舟が1番輝いた年だ。

1994年の監督5年目の選手

藪が1年目から新人王という快挙。

打者:関川 オマリー 和田 八木 久慈 石嶺 新庄 亀山 ディアー

ディアー働かず、戦力はオマリーと和田くらい。亀山が活躍したのはこの年までという悲しさ。

投手:藪 山崎 湯舟 御子柴 久保 弓長 中西 郭李 古溝

藪が新人王で輝いていた、暗黒時代を長く支えてくれる立役者。田村にかわって押さえは古溝になった。

1995年の監督6年目の選手

阪神での監督最終年で、ぶっちぎりの最下位で途中「藤田平」に監督交代した。

打者:関川 グレン クールボー 和田 久慈 石嶺 新庄 桧山 八木

桧山が力をつけてきた、外国人もそれなりに頑張ったがオマリーがいなくて関川以外打率270台以下と悲惨。

投手:藪 竹内 川尻 湯舟 郭李 中西 久保 古溝

竹内の10勝以外は、川尻と藪が良いピッチングをみせた。打線の援護が全くなく、先発4人が2桁敗戦と負けまくった。

2006年の監督7年目の選手

この年はオリックスの監督を1年だけ務めた、結果は5位で1年で終わった。

打者:日高 北川 塩崎 水口 中村ノリ 後藤光尊 谷 村松 ガルシア 清原

まともに活躍したのは北川と村松くらい。中村ノリも清原も成績がすこぶる悪く、チーム最多がガルシアの13本塁打と貧打に泣いた。

投手:デイビー 川越 平野 吉井 菊地原 ユウキ 加藤 大久保

10勝はデイビーのみ、川越も長いオリックスの暗黒時代を支えた、藪と似た環境だ。投手陣もパットせず、5位に沈んだ。

中村勝広について

監督時代の暗黒さからか、晩年はGMとして阪神に就任するも、強くならないので叩かれている場面が多かった

GMとして選手の補強には熱心で、西岡剛・福留孝介・コンラッド・呉昇桓(オスンファン)・ゴメスを獲得し、コンラッド以外は活躍している。ネット上などでは暗黒のイメージが強く、評判は良くないが選手時代から真面目で、自らも阪神ファンと公言し実は周りからの人間としての評判は良かった。

私がはじめて生で阪神を観戦したときの監督が「中村勝広」だった。子供だった当時はジェット風船に感激し、父親のカーラジオではずっと阪神の応援歌テープが流れていた。当時の阪神の成績は振るわなかったが、野球の楽しさを表現してくれた時代でした。中村勝広氏が亡くなって私自身ショックで悲しい。中村勝広氏のご冥福をお祈りします。



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